
江戸の人口は18世紀始めには100万人を超え、世界一に匹敵する数字であったと推定されている。
成人男性の識字率も幕末には70%を超え、同時期のロンドン(20%)、パリ(10%未満)を遥かに凌ぎ、海外の研究家も驚きを以って書いている。
また、武家だけではなく農民も和歌を嗜んだと言われており、その背景には寺子屋の普及があったと考えられている。
この様に、世界的に見ても極めて高い教育水準であったと言うことができる。
寺子屋の起源は寺院での教育に遡ると言われる。
その後、江戸時代に入り、商工業の発展や社会の文書主義などにより、実務教育の需要が高まり、先ず江戸などの都市に寺子屋が普及して行った。
寛政年間頃から農村や漁村へも広がりを見せ始め、中期以降に著しく増加した。
又、経営形態も職業的経営に移行する傾向を見せた。
寺子屋では、「読書算」と呼ばれる読書・習字・算数の基礎的な知識の習得に留まらず、地理・人名・書簡の作成法など、実生活に必要とされる内容の教育が総合的に行われていた。
教育は第一に数字の習得から始まり、次いで文字の習得が為される事が多かった。
そして、実生活に必要とされる知識や技術の教育が行われた。
寺子屋の就学年齢や卒業時期は特に定まっていた訳ではなく、およそ5〜6歳で就学し、13〜14歳から18歳になる頃まで修学する例が多かった。
男子限定や女子限定の寺子屋も少なくはなかったが、男女共学の寺子屋が多数であった。
江戸における嘉永年間(1850年頃)の就学率は70〜86%といわれており、イギリスの主な工業都市で20〜25%(1837年)、フランス1.4%(1793年)、ソビエト連邦20%(1920年、モスクワ)と、外国に比べ就学率が高かった。
幕末期には、江戸に約1500校、全国では約15000校の寺子屋が存在した。
1校辺りの生徒数は、10人から100人と様々であった。